[古典名詩] 「泥塊と小石」 - 「泥塊」と「小石」が提示する愛の相反する姿

The Clod and the Pebble

The Clod and the Pebble - William Blake

「泥塊と小石」 - ウィリアム・ブレイク

愛の二面性を対照的に描き出す寓話的な詩

Love seeketh not itself to please,
愛は自らを喜ばせようとはせず、
Nor for itself hath any care;
また自らのために配慮を払うこともなく、
But for another gives its ease,
他者のために安らぎを与え、
And builds a Heaven in Hell's despair.
地獄の絶望のただなかに天国を築くのだ。
So sang a little Clod of Clay,
そう歌ったのは、小さな泥塊、
Trodden with the cattle's feet,
牛の蹄に踏みにじられながらも、
But a Pebble of the brook
しかし、小川の小石が
Warbled out these metres meet:
こんな詩句をさえずり返してきた:
Love seeketh only Self to please,
愛はただ己を喜ばせることのみを求め、
To bind another to its delight:
他者を自分の歓びに縛りつけ、
Joys in another's loss of ease,
相手が安寧を失うさまを悦び、
And builds a Hell in Heaven's despite.
天国さえも意に介さず、地獄を築くのだ。

ウィリアム・ブレイクの「泥塊と小石」は、『経験の歌(Songs of Experience)』に収録される作品で、同じ“愛”という概念のまったく異なる側面を対比的に描いた象徴詩です。

前半の4行では「泥塊(Clod of Clay)」が、利己的でない愛を語ります。そこでは“他者のために安らぎを与え、たとえ地獄のような苦境にあっても天国を築く”という、献身的で他者志向の愛が理想として提示されます。小さく柔らかい泥塊は、牛に踏みつけられるほど弱い存在でありながら、他者への思いやりに満ちた言葉を歌い上げることで、愛の尊さを示唆しています。

一方で後半の4行で登場する「小石(Pebble)」は、打って変わって自己中心的な愛を謳います。そこでは、“他者を自分の歓びに縛り、相手が苦しむさまを悦びとする”ような、歪んだ愛の本質が露わにされます。硬く水に磨かれた小石は、強靭さや冷淡さを連想させ、まさに献身的な泥塊の姿勢とは対極に位置するといえます。

ブレイクは、こうした二つの対照的な視点を通して、愛が内包する矛盾や二面性を際立たせています。泥塊は柔軟で他者を思う愛を、そして小石は硬直的で自己愛に囚われたありようを体現しているのです。読者はそれをどう捉えるかによって、愛という概念の複雑さや多義性、そして人間の心に潜む両極端な側面と向き合うことを迫られます。

全体的にこの詩は短い構成でありながら、言葉のテンポや対比が鮮やかで印象に残る作りとなっています。前半・後半ともに、“愛”という言葉を軸にしながら、まったく別の解釈を続けざまに示すことで、単純な善悪図式では語れない深い洞察をもたらします。ブレイク独特の宗教観や象徴主義を背景としつつ、現代にも通じる“愛の本質を問いかける”力を持った作品として、多くの読者に新たな視点を与えているのです。

要点

• 愛の利他的側面(泥塊)と利己的側面(小石)が対比され、同じ“愛”の二面性を強調
• 短い構成ながらも、献身と束縛という相反するメッセージが巧みに織り込まれている
• ブレイクの象徴表現を通じて、単純な善悪では測れない愛の複雑さを提示
• 現代においても、人間関係や自己・他者の境界を考える上で示唆に富む作品

コメント
    楽しい時は時間が経つのが早いですね!
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