[古典名詩] 「奇妙な情熱に駆られたことがある」 - 沈む月とともに募る恋慕と不安

Strange fits of passion have I known

Strange fits of passion have I known - William Wordsworth

「奇妙な情熱に駆られたことがある」 - ウィリアム・ワーズワース

深夜の馬上で募る恋の想いと死の予感

Strange fits of passion have I known:
不思議なほどの情熱に駆られたことがわたしにはある:
And I will dare to tell,
それを語ろうという勇気を持っている、
But in the lover’s ear alone,
けれども恋人の耳にだけ、
What once to me befell.
かつてわたしの身に起こった出来事を。
When she I loved look’d every day
わたしが愛したあの人は、日ごとに
Fresh as a rose in June,
六月の薔薇のようにみずみずしさを増していた、
I to her cottage bent my way,
わたしは彼女の小屋へと足を向け、
Beneath an evening moon.
夕べの月の下を進んでいったのだ。
Upon the moon I fix’d my eye,
わたしは月に視線を据え、
All over the wide lea;
その広々とした牧草地を見渡していた;
With quickening pace my horse drew nigh
速度を上げたわたしの馬は近づいていく、
Those paths so dear to me.
あの大切な道へと。
And now we reach’d the orchard-plot;
やがて果樹園の跡地へと辿り着き、
And, as we climb’d the hill,
丘をよじ登る頃には、
The sinking moon to Lucy’s cot
沈みゆく月はルーシーの小屋の方へ
Came near, and nearer still.
近づき、さらに一層近づいていった。
In one of those sweet dreams I slept,
わたしは甘美な夢のひとつに身を委ね、
Kind Nature’s gentlest boon!
優しい自然のもたらす最大の恵みを味わっていた!
And all the while my eyes I kept
そしてその間ずっと、目を離さずにいたのだ、
On the descending moon.
沈みゆく月を見つめ続けながら。
My horse moved on; hoof after hoof
馬は進んでいく;一歩、また一歩と蹄を運び、
He raised, and never stopp’d:
止まることなく歩み続ける:
When down behind the cottage roof,
すると、一瞬のうちに小屋の屋根の向こうへと
At once, the bright moon dropp’d.
明るい月は姿を消してしまった。
What fond and wayward thoughts will slide
どれほど愛おしくも気まぐれな想いが、
Into a Lover’s head!
恋する者の頭の中へ滑り込むものだろう!
‘O mercy!’ to myself I cried,
「おお、神よ!」とわたしは胸の内で叫んだ、
‘If Lucy should be dead!’
「もしルーシーが死んでしまっていたなら!」と。

「奇妙な情熱に駆られたことがある(Strange fits of passion have I known)」は、ワーズワースが「ルーシー詩」と呼ばれる連作のひとつとして残した詩で、恋する者が抱く不安と愛情が象徴的に描かれています。夜に馬を駆り、愛するルーシーの小屋へ向かう主人公は、月が沈むのに合わせて不可思議な不安に苛まれます。突如として“もしルーシーが死んでいたら”という考えが頭をもたげる場面では、恋心が持つ儚さと切実さ、そして死のイメージが強く結びつき、ロマン主義的な情緒が深い陰影をもって立ち上がります。

序盤では、不思議な情熱の存在を告白しつつも、語り手はその気持ちを“恋人の耳にだけ”打ち明けようとする、内面の秘めた思いを強調します。ロマン主義的なモチーフとして、恋や愛が極めて個人的で崇高な領域に属することが示唆され、社会一般に語るようなものではないという姿勢が見て取れます。

詩中では自然描写が重要な役割を果たします。夕べの月の下、牧草地を越えて愛する人のもとへ向かう光景は、ワーズワースが得意とする穏やかかつ荘厳な自然との対話を感じさせますが、そのムードが一変するのが月が沈む瞬間です。視界から消えていく月を見て、主人公は恋愛特有の不安と死の予感を同時に覚えます。ここには、自然の微妙な変化が人間の内面に大きく影響を及ぼすというロマン主義の基本的な思想が色濃く反映されています。

最後の行、“もしルーシーが死んでいたら!”という叫びは、その前に広がっていた穏やかな情景と強烈なコントラストを生み出します。恋心の甘やかさと、その裏に潜む取り返しのつかない喪失の恐れが、一瞬にして読者の胸を締め付けるのです。この不安はロマン主義特有の「死や超越的世界への意識」としても解釈され、平和な夜道の雰囲気が、一転して漠然とした不穏さを帯びる結末へと読者を誘導します。

要点

• 夕暮れの馬上で愛する人を思い、月の沈みとともに漠然とした死の不安を抱く
• 「恋人の耳だけ」に打ち明けるという形で、強い個人的感情を秘めた詩の構成
• 自然(月)の動きが人間の感情と呼応し、死の予感や悲しみを喚起する
• ルーシー詩に共通する儚さと愛惜が凝縮され、ロマン主義的情緒を深める一篇

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