[古典名詩] 過香積寺(かしょうせきじ) - 山深き寺院の神秘と禅の境地

Passing Xiangji Temple

Passing Xiangji Temple - Wang Wei

/过香积寺 - 王维/

静寂の山中に響く寺の鐘声を訪ねる旅情

不知香積寺,
香積寺(こうしゃくじ)があるとは知らず、
Unaware there lay Xiangji Temple ahead,
數里入雲峰。
幾里も進むうちに、雲にそびえる峰へと分け入った。
I traveled for miles into cloud-shrouded peaks.
古木無人徑,
古木が生い茂る、人影もない小径を行き、
Ancient trees flank a path where no one treads,
深山何處鐘。
深い山の奥からは、どこからともなく鐘の音が響く。
Deep in the mountains, a distant bell rings with no visible source.
泉聲咽危石,
泉の流れは切り立つ岩にあたり、せき込むような音を立て、
A spring’s voice chokes against perilous rocks,
日色冷青松。
日の光は冷たげに青松を照らす。
While sunlight falls cold upon the green pines.
薄暮空潭曲,
夕暮れ、何もない澄んだ潭(ふち)に差し掛かる曲がり道で、
At dusk, by a bend near a tranquil pool,
安禪制毒龍。
静かに禅に入れば、邪なるものさえ鎮まると悟るのだ。
In meditation, even the poisonous dragon is subdued.

この詩は、唐代の詩人・王維(おうい)が西安(長安)南部に位置する終南山(しゅうなんざん)近辺を旅した際に、山中の香積寺(こうしゃくじ)を訪ねた体験を元に詠んだとされる七言律詩です。深い霧や雲のかかる峰々、苔むした古木や清冽な泉など、静寂と神秘に包まれた山の情景を描写しながら、寺院での禅の安らぎや、煩悩から解放される感覚が象徴的に示されています。

冒頭で「不知香積寺」とあるように、作者は寺の存在を知らずに山へ分け入ります。雲にそびえる峰へ進むうちに、まるで天界のような幽玄の世界へ足を踏み入れる感覚が高められます。続く「古木無人徑,深山何處鐘」では、人影もない小径が古木に覆われ、山奥のどこからともなく聞こえてくる鐘の音が、読者の想像力を自然と寺院の奥深さへ誘う仕掛けとなっています。

中盤の「泉聲咽危石,日色冷青松」では、険しい岩にぶつかり澄んだ音を発する泉や、冷たい光を受ける青松が描かれます。一見すると厳しい環境ですが、その静謐さこそが仏教的な悟りや、浄化の感覚を増幅させるポイントでもあります。王維は仏教や道教にも深い関心を抱いており、自らも官職の合間に山へ向かっては自然と向き合い、心身を洗練する時を過ごしたといいます。

最終の「薄暮空潭曲,安禪制毒龍。」は、夕暮れの人影もまばらな静寂の中、空の深い淵(潭)のほとりに至り、禅定の境地に入ることで邪悪なものさえも鎮められるという比喩が含まれていると解釈されています。ここでの「毒龍」は、外的な困難や内面の煩悩を象徴し、静かに禅に入ることでそれを制するという仏教的世界観が示唆されています。

全体を通じて、王維ならではの“山水詩”における視覚的美しさと、仏教的思想が自然に織り込まれた構成が際立ちます。音(泉の音、鐘の音)や光(日の光)を通じて五感に訴えかけ、山深い寺院の空気感と悟りへの一歩を表現している点は、この詩の大きな魅力です。

同時に、読者はこの詩を味わうことで、俗世間の喧騒から離れ、深山幽谷に足を運び、禅定を通じて煩悩から解放される王維の世界観を追体験できるでしょう。

要点

• 山深くにある香積寺を無意識のうちに訪ねる旅の情景
• 古木や泉、鐘の音が、静寂で幽遠な世界を盛り上げる
• 煩悩(毒龍)を制する禅の力を暗喩する終盤の句が印象的
• 王維が追求した山水詩の美学と仏教的な精神性が融合した名作

楽しい時は時間が経つのが早いですね!
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