[古典名詩] 諫迎佛骨表 - 儒家の立場から仏教信仰を諫める理由

Remonstration Against Welcoming the Buddha’s Bone

谏迎佛骨表 - 韩愈

諫迎佛骨表 - 韓愈

仏骨受容に挑む諫言の真意

臣某言:臣聞佛者,夷狄之一法耳。
臣(わたくし)は申し上げます:仏とは異民族(夷狄)の一法にすぎません。
I, Your Majesty's servant, have heard that Buddha is but one law of foreign peoples.
自陛下得之以為聖,則是奉夷狄之教,棄先王之法也。
陛下がそれを聖なるものとお思いになれば、異民族の教えを奉じ、先王の法を捨てることになります。
If Your Majesty regards it as holy, then you are embracing the teachings of foreigners and forsaking the laws of our ancestors.
天地神祇,有虛無之名,而無形象可觀;
天地の神々には、虚無の名こそあれど、目に見える形はありません。
The gods of heaven and earth have names of the void, yet no tangible form to behold.
今陛下迎佛骨,則是信妖妄之言,廢本朝之正教也。
いま陛下が仏骨を迎えられれば、虚妄の説を信じ、本朝の正しい教えを廃することとなりましょう。
If Your Majesty welcomes the Buddha’s relic bone now, you heed a delusory doctrine and abandon our nation’s rightful teaching.

「諫迎佛骨表」は、中国唐代の文人・政治家である韓愈が、当時の皇帝・憲宗(けんそう)に対して仏骨を宮中へ迎え入れることを諫めた上奏文(表)です。詩文の形式ではなく奏折の形ですが、後世の人々がその名文ぶりを賞賛し、広く読まれてきました。韓愈は儒家として、政治や文化を支える根幹は先王の道にあると信じ、外来宗教の範疇として理解されがちである仏教を、やや批判的に捉えていた節があります。

当時の朝廷では仏教が篤く信仰され、皇帝すらも仏の遺骨(仏骨)を尊重し、国家行事として盛大に迎えようとしていました。これに対し、韓愈は「仏教は異民族の法であり、それを重んずることは先王の法を棄てるものである」という儒教的観点から痛烈に諫めます。彼は神仏のあり方を、“天地の神祇は形あるものではない”と説き、仏骨を神秘的なものとして崇拝するのは真理から逸脱した考えだと論じました。

また、本表の背景には、当時の社会情勢として仏教の影響力が極めて大きく、儒家の立場に立つ官僚が仏教優勢の風潮を憂慮していたという事情があります。韓愈は学識と文章力に優れ、直言をもって皇帝に諫言する気骨ある官僚として知られていましたが、そのために皇帝の怒りを買い、一時流刑に処されることにもなります。しかし、この諫言は後世の儒学者や思想家に大きな影響を与え、儒教と仏教の関係を考察するうえで欠かせない歴史的文献として語り継がれました。

韓愈が強く主張したのは、外来の教えそのものをすべて否定するというより、国の根本を支える儒家の教えと道統の重要性を蔑ろにしてはならないという姿勢です。朝廷が仏骨に過度に傾倒することは、国家の柱となるべき“先王の道”を揺るがし、政治や倫理の混乱を招くと懸念したのです。そのため「諫迎佛骨表」は、宗教や信仰の問題を超えて「国家の統治理念をどのように守り運営していくか」という重大なテーマをはらんでいると言えます。

このように韓愈の諫言は、単なる強硬な仏教批判ではなく、皇帝が信じるものが国家の方向性を決定するという中国政治の伝統を踏まえた、極めて政治的な警告でした。結果的に、皇帝は激怒し彼を遠方に流罪としたものの、後に韓愈は許されて官界に復帰します。こうした彼の言動や考えは、儒者としての真剣な信念と国家への深い責任感を示しており、後世に多大な影響を残しました。

要点

・儒教視点から見る仏教の受容問題を痛烈に諫言した名文
・外来の宗教や思想を国是とすることへの警戒心を表明
・韓愈自身の直言によって皇帝の怒りを買い、一時流罪となる
・国の根本を支える先王の道統と儒家思想の重要性を強調
・政治と宗教の相互関係、そして統治理念の在り方を考察するうえでの貴重な史料

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