[古典名詩] 終南別業(しゅうなんべつぎょう) - 心のおもむくまま自然と親しむ詩情

My Retreat in Zhongnan

My Retreat in Zhongnan - Wang Wei

/终南别业 - 王维/

終南山麓で心の静寂を求める隠棲の詩

中歲頗好道,
中年を迎え、道を好むようになり、
In my middle years, I grew fond of the Way,
晚家南山陲。
年老いてからは終南山のはずれに家を構えた。
And made my home by the southern edge of Zhongnan.
興來每獨往,
興が湧けば、いつも一人で出かけ、
Whenever the mood struck, I set off alone,
勝事空自知。
その楽しみはただ自分の胸だけに秘める。
The joy I find remains my private delight.
行到水窮處,
水が尽きる場所まで歩み続け、
I walk on till the stream reaches its end,
坐看雲起時。
腰を下ろしては、湧き上がる雲を見つめるのだ。
Then sit and watch clouds rise into the sky.
偶然值林叟,
ふと林の奥に住む老人に出会い、
By chance, I meet an old man in the woods,
談笑無還期。
語り合い笑い合って、帰る刻も忘れてしまう。
We chat and laugh, with no thought of going back.

王維(おうい)の『終南別業(しゅうなんべつぎょう)』は、終南山麓に隠棲して自然と心を一つにする暮らしを描いた作品です。作者である王維は、若い頃に官僚として仕えた一方、道教や仏教に関心を寄せ、山水の世界に身をおく生き方を理想としました。本詩は、そうした王維の人生観が色濃く反映された七言律詩です。

冒頭の「中歳頗好道,晚家南山陲。」は、中年以降、俗世を離れて人生の深みを求める姿を端的に示しています。唐代の詩人には高官としての出世をめざす者も多かった一方、王維のように自然と調和し、静かに心の奥を見つめようとする人々も存在しました。この詩からは、官場の喧騒よりも、むしろ自ら選んだ隠棲の地で得られる精神の充実感が感じられます。

「興來每獨往,勝事空自知。」では、興が湧けば一人出かけ、得がたい喜びを誰にも打ち明けず胸にしまう――という内面的な静けさがうかがえます。山水や自然と対峙するとき、人は得も言われぬ満足を得るものですが、それは一種の内面的な悟りにも通じるものです。王維が愛した山里の暮らしは、世の名利から離れ、ただ自分と自然が向き合う境地を大切にするものでした。

続く「行到水窮處,坐看雲起時。」は本作の中でも特に有名な句で、水が尽きる場所まで歩み続け、そのまま腰を下ろして雲の湧き上がる様子を眺めるという情景が目に浮かびます。まるで外界の忙しさや時間の制約から解き放たれ、自然が織り成す瞬間の変化を感じ取る余裕がある姿は、王維が求める理想的な生き方とも言えます。さらに結びの「偶然値林叟,談笑無還期。」では、林の中に住む老人と偶然出会い、時を忘れて語り合う楽しさが、自然の懐に深く溶け込んだ生活を象徴的に示しています。

この詩には、自然と共生しながら精神的な自由を得る王維の“隠逸の世界”が凝縮されています。山や水、雲、そして林の老人との出会い――これらの要素を通じて、読む者もまた、俗世を一時離れて静かに自分の心を見つめ直す感覚を味わえるのです。王維の作品は、山水田園詩を代表する存在として、後世の詩人や画家にも多大な影響を与えてきました。自然の美と人間の内面との結びつきを見事に表現するその手腕は、本作からもはっきり感じ取ることができます。

要点

• 官界を離れ、道教的・仏教的な志向を深める王維の生き方が色濃く反映
• “行到水窮處,坐看雲起時”に象徴される、時間と束縛を超越した自然との融合
• 単なる自然賛美ではなく、精神の自由や内面の充足を探究する隠逸思想
• 山水田園詩の代表作として、後世の文学や絵画にも大きな影響を与えた名篇

楽しい時は時間が経つのが早いですね!
利用可能な言語