[古典名詩] 観村童戲渓上(かんそんどう けい けいじょう) - 詩の概要と背景

Watching Village Children at Play by the Stream

观村童戏溪上 - 陆游

観村童戲渓上(かんそんどう けい けいじょう) - 陸游(りくゆう)

渓辺に響く童の笑い声が映す、素朴で瑞々しい光景

溪上村童戏正欢,
渓辺に集う村の子らは楽しげに遊んでいる。
By the stream, village children frolic in cheerful delight.
柳阴留得晚来安。
柳の木陰が、夕暮れを迎えても静かな安らぎをもたらす。
Under drooping willows, even dusk brings a gentle peace.
赤足踏波呼渡鸟,
素足で波間を踏み、渡り鳥を呼ぶ声が響く。
Barefoot in the water, they call out to passing birds.
青丝吹笛引山峦。
幼い髪が風に揺れ、笛の音が遠くの山々を呼び寄せるようだ。
Their youthful locks sway in the breeze; a flute’s melody seems to beckon distant peaks.
风中犹闻织女泣,
風の中、どこかで織女(しょくじょ)のすすり泣く声を聞くようだ。
Amid the gusts, one might hear the weeping of the Weaver Maid.
夜色还想旧游残。
暮色が深まるにつれ、かつての思い出の残像が立ち上る。
As night falls, old memories resurface like faint echoes.
却羡无忧童子笑,
悩みを知らぬ童子の笑いが、なんとも羨ましい。
I envy the carefree laughter of these children unburdened by troubles.
纷尘不识寄闲看。
世の塵事を知らぬその姿を、私はただ静かに見守るのみ。
Oblivious to worldly cares, they play on as I quietly observe.

「観村童戲渓上」は、南宋の詩人・陸游(りくゆう)が田舎の渓辺で遊ぶ子どもたちの姿を題材にしたと伝えられる詩です。題名は“村の子どもたちが渓で戯れているのを観る”という意味合いで、静かな農村風景の一場面が活き活きと描かれています。

陸游は、生涯を通じて愛国的な詩作を多数残したことで有名ですが、一方ではこうした日常的で素朴な情景を描いた作品も多く遺しています。本作では、渓辺に集まる子どもたちが楽しげに遊ぶ様子が中心に据えられ、厳しい社会情勢や政治的混迷から離れた一瞬の平和が感じられます。

また、自然描写に目を向けると、柳の木陰や渡り鳥、山々のシルエットといった要素が、のどかな田園の空気感を強調しています。中盤で笛の音や風の音が言及されることで、視覚だけでなく聴覚にも訴えるような表現が用いられており、読者がまるでその場にいるかのような没入感を得られる点が特徴です。作者自身は壮志を抱きつつも社会や政治に翻弄され、人生の晩年には隠遁するような生活を送ったと言われますが、そんな彼がかつての鬱屈とは別の視点で捉えた世界が、ここには表れていると言えます。

結句では、童子の笑いに対する羨望と、自分はただ見守るだけという静かな認識が示唆されています。これは、政治的夢想が叶わないまま年老いた陸游の内面にある諦観や慈愛とも重なって読むことができ、まさに“無憂の童子”との対比が深い余韻を残します。こうした純朴な場面にもどこか物悲しさが漂うのは、陸游の人生経験と、南宋という時代の不安定さが背後にあるからこそでしょう。

要点

・村の子どもたちの遊ぶ姿を通じて、素朴で平和な田園風景が活写される
・風や笛の音など聴覚的な要素が印象的で、読者を情景に引き込む力をもつ
・生涯を通じ愛国詩を多く残した陸游が、日常の一コマに寄せた眼差しからは、静かな慈愛や達観が感じられる

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