[古典名詩] 病の中で神へ捧ぐ讃歌 - 詩の概要

Hymn to God My God in My Sickness

Hymn to God My God in My Sickness - John Donne

病の中で神へ捧ぐ讃歌 - ジョン・ダン

終焉を見つめ、魂の帰路を問いかける荘厳な詩

Since I am coming to that Holy room,
いま私は、あの聖なる部屋へと向かおうとしている
Where, with thy choir of saints for evermore,
そこで、あなたの聖人たちの合唱の中に永遠に加わり、
I shall be made thy music; as I come
私はあなたの音楽そのものとなるでしょう。そこへ近づくこの身が、
I tune the instrument here at the door,
扉の前で楽器を調整するように心を整えているのです。
And what I must do then, think here before.
そのとき私が何をすべきか、今この場で思い巡らすのです。
Whilst my physicians by their love are grown
私の医師たちはその愛ゆえか、私を
Cosmographers, and I their map, who lie
世界地図として扱う“地理学者”となり、私は彼らの地図として横たわっています。
Flat on this bed, that by them may be shown
こうしてベッドに平らに横たわる姿は、
That this is my south-west discovery,
私にとって南西の新たな発見、
Per fretum febris, by these straits to die,
すなわち「熱の海峡」を通って死へと至る航路を示すかのようなのです。
I joy, that in these straits I see my west;
私は喜びを感じます、この海峡の先に私の“西”を見ることができるからです。
For, though their currents yield return to none,
そこから戻ってくる航路はないとしても、
What shall my west hurt me? As west and east
私の“西”が何を恐れさせましょう? 西も東も
In all flat maps (and I am one) are one,
あらゆる平面の地図上では(そして私自身もそれに倣って)一つに繋がっています。
So death doth touch the resurrection.
そう、死は復活という地点に直接触れているのです。
Is the Pacific Sea my home? Or are
太平洋こそ私の帰る場所でしょうか? あるいは
The eastern riches? Is Jerusalem?
東方の富、エルサレムこそがそうなのでしょうか?
Anyan, and Magellan, and Gibraltar?
アニアンの海峡、マゼラン海峡、そしてジブラルタル海峡でしょうか?
All straits, and none but straits, are ways to them,
あらゆる海峡がそこへの道であり、海峡以外は道ではないのです。
Whether where Japhet dwelt, or Cham, or Shem.
ヤペテやハム、セムが住んでいた場所へ至るにも、です。
We think that Paradise and Calvary,
私たちは、楽園とカルヴァリが、
Christ's cross, and Adam's tree, stood in one place;
キリストの十字架とアダムの木が、同じ場所に立っていたと考えます。
Look, Lord, and find both Adams met in me;
見てください、主よ、両方のアダムが私の中で邂逅しています;
As the first Adam's sweat surrounds my face,
最初のアダムの汗が私の顔を濡らすように、
May the last Adam's blood my soul embrace.
最後のアダムの血が私の魂を包み込むように願います。
So, in his purple wrapp'd, receive me, Lord;
どうか、その紫の衣に包まれたまま、私を受け入れてください、主よ;
By these his thorns, give me his other crown;
主の茨の冠によって、どうか別の冠を私に与えてください;
And as to others' souls I preach'd thy word,
私はほかの人々の魂に、あなたの言葉を説いてきたように、
Be this my text, my sermon to mine own:
今こそ私自身の魂に向けた説教として、この言葉を掲げます:
Therefore that he may raise the Lord throws down.
ゆえに、主が私を起こし上げるために、まずは倒されるのです。

「Hymn to God My God in My Sickness(病の中で神へ捧ぐ讃歌)」は、ジョン・ダン晩年の宗教詩の一つで、重病の床にあるダンが死の間際に綴ったとされる作品です。死を目前に控えた詩人が、神のもとに赴く心構えを自問自答するこの詩には、彼が歩んできた人生の苦悩や希望、そして神学的世界観が凝縮されています。

詩の冒頭から「これから聖なる部屋へ入っていく」という表現があり、それは死を通して神のもとへ向かう準備を示唆しています。ベッドに伏せる自分を地図にたとえるくだりでは、医師を“地理学者”に見立て、自身の身体を地形のように観察させることで、死へと至る“航路”が示されているとするイメージが浮かび上がります。これは“時代背景としての大航海時代”の地理的探検を、死の探求へと巧みに重ねた形而上詩特有の発想とも言えます。

さらに詩の後半では、楽園(エデン)やカルヴァリの丘といったキリスト教における象徴的な場面を引き合いに出し、“最初のアダム”と“最後のアダム(キリスト)”の二つが詩人自身の中で交わるという視点が示されます。人間としての有限性(アダム)と、救いをもたらす無限性(キリスト)の両面が、病床のダンの身体と魂の中に同時に存在するという逆説的構造が、深い宗教的感動をもたらすのです。

そして結びの部分では、十字架の茨が別の冠へと変わるよう願うことで、“主が自分を倒す(死に至らしめる)ことが実は魂の復活や救済につながる”という究極の信仰を告白します。これはダンが生涯を通じて説き続けた“死と復活のパラドックス”を象徴するもので、死を克服する一つの道として、あえて受け止めるというキリスト教信仰の核心を詩的に示しているといえます。

この詩が刊行された当時は、病と死に対する恐怖が強く、単なる悲嘆や絶望に沈む作品が多かった背景があります。しかし、ダンは死を迎えようとする最中にあっても、そこに神の計画と救済を見出そうとし、“死”を積極的に捉えています。こうした逆説こそが、ダンの宗教詩や形而上詩の特色でもあり、現代の私たちにも人生や死生観について考えさせる大きなきっかけとなり続けています。

要点

• 死の間際に神へと向かう心情を描いたジョン・ダン晩年の宗教詩
• 医師を“地理学者”、自らを“地図”に見立て、死を航路になぞらえる形而上詩的発想
• “最初のアダム”と“最後のアダム(キリスト)”の融合によって、人間の有限性と神の無限性を重ねる
• 病と死に対する畏怖を超え、神の計画と救済を信じ抜く逆説的な信仰の表明

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