[古典名詩] 嫦娥(じょうが) - 月宮伝説に重ねる孤高の美と悔恨の情

Chang'e

Chang'e - Li Shangyin

/嫦娥 - 李商隐/

月宮へ昇った仙女の孤独を暗示する短い夜の叙情

雲母屏風燭影深,
雲母(うんも)の屏風が、ろうそくの影を深く映し、
A mica folding screen casts a deep candlelit shadow,
長河漸落曉星沈。
天の川は次第に沈み、暁の星もまた消えていく。
The Milky Way slowly sets, dawn stars sink out of sight.
嫦娥應悔偷靈藥,
嫦娥(じょうが)はきっと霊薬を盗んだことを悔やんでいるだろう、
Chang’e must regret stealing the elixir of immortality,
碧海青天夜夜心。
蒼い海、青い天、その下で夜ごとに思いを抱いているのだ。
Alone beneath blue seas and azure skies, she pines night after night.

この詩『嫦娥』は、唐代の詩人・李商隠(りしょういん)が、中国神話に登場する月の仙女・嫦娥の伝説をモチーフに詠んだ七言絶句です。嫦娥は、夫の后羿(こうげい)から授かった不死の霊薬を飲み、月宮に昇って孤独に暮らす存在として広く知られています。李商隠はこの伝説を借りながら、夜の幻想的な情景や“永遠の生命がもたらす孤独”を深く暗示していると解釈されます。

冒頭で示される「雲母屏風燭影深」は、珍重される鉱物・雲母(うんも)製の屏風に蝋燭の光が落ち、その影が深々と揺らめくさまを映し出します。次の「長河漸落曉星沈」によって、夜空の星々や天の川が暁とともに消えてゆく、移ろいゆく夜の時間帯が強調されます。こうした視覚的なモチーフは、李商隠が得意とする“晦渋にして艶麗な夜の世界”を匂わせるものであり、単なる恋愛詩にとどまらない独自の宇宙観を感じさせます。

三句目の「嫦娥應悔偷靈藥」においては、神話の筋書きそのもの――嫦娥が不死の妙薬を盗み飲んで月に昇った――に触れつつ、“それが果たして幸せだったのか”という問いを暗示します。続く「碧海青天夜夜心」では、青い海と青い天に象徴される壮大な空間にただ一人取り残された嫦娥の心情が、夜ごとに孤独を深めているかのようです。この三、四句が締めくくるのは、神話上の偉大な行為や眩いばかりの美の代償として背負わなければならない“悔恨”や“孤独”の重みであり、李商隠独特の憂愁と幻想性が具現化されています。

唐代の晩期、社会的にも混乱期に差しかかっていた背景から、李商隠の詩作には「現実への嘆き」と「幻想的・神秘的な題材」が強く混在するのが特徴です。『嫦娥』もまた、その代表例と言えるでしょう。古来、嫦娥の伝説は“永遠の生命と孤独”を象徴するモチーフとして愛され、多くの詩人が月や嫦娥を題材に作品を残しましたが、李商隠は四句という短い中で、夜の情景と伝説上のキャラクターを重ね合わせ、人間存在の儚さや“得難き幸福”に対する複雑な感情を示唆しています。こうした濃密な象徴性と余韻こそが、李商隠詩の魅力と言えます。

要点

• 中国神話の月の仙女・嫦娥伝説を引用し、不死による孤高の悔恨を暗示
• 幻想的な夜の描写(雲母、蝋燭、星空)による李商隠らしい晦渋かつ艶麗な世界
• たった四句で神話的モチーフと人間的感情を繊細に絡める詩技
• “永遠”を得た代償として孤独と後悔を抱える姿が、唐末の世相と個人の憂愁を重ね合わせる

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