[古典名詩] 示兒(しじ) - 詩の概要と背景

To My Sons

示儿 - 陆游

示兒(しじ) - 陸游(りくゆう)

祖国の行く末を願い、後世へ託す切なる叫び

死去元知万事空,
死ねばすべては空(むな)しと知りながらも、
Upon death, all is understood to be vain,
但悲不见九州同。
ただ嘆くのは、九州(祖国)が一つにまとまらぬままの現実だ。
Yet I grieve that our Nine Provinces remain ununited.
王师北定中原日,
王の軍勢が北方を平定し、中原を奪還するその日には、
When the royal army retakes the northern heartland,
家祭无忘告乃翁。
家の祭事において、どうか先祖であるこの私に、その喜びを報せてほしい。
During the ancestral rites at home, forget not to inform this old man of the triumph.

陸游(りくゆう)は、中国南宋時代を代表する愛国的な詩人で、その作品には祖国の統一や中原奪還への情熱が色濃く表れています。「示兒(しじ)」は、彼が晩年に子息たちへ遺したと伝えられる詩で、死後の自身はすべてが空しいと悟りながらも、祖国統一を見届けられなかった無念と、国家再興の大義を後世へ託す思いが強くうかがえます。

冒頭の「死去元知万事空」は、死とはすべての執着から解き放たれることを示しつつも、次句の「但悲不见九州同」で、その執着の例外として挙げられているのが祖国の統一です。続く「王师北定中原日」では、いつの日か正統な王朝の軍勢が北部を奪還し、中原の地を取り戻すことを願う強い希望が語られます。そして最後の「家祭无忘告乃翁」は、もしその悲願が叶うならば、亡き自分にも知らせてほしいという切実な訴えを表現しています。

当時、宋王朝は北方の異民族(主に金国)によって中原を奪われ、南遷を余儀なくされていました。陸游はその状況を憂い、数多くの詩や詞で抗戦の必要性を訴え続けましたが、実際の政治や軍事の現実は思うようには動かず、その無念が作品にも強く反映されています。本作は短いながらも、死を目前にしてなお捨てきれない愛国心と、後進への切なる願いが凝縮された名詩として、古今にわたって人々の心を打ち続けています。

要点

・死後のすべてが空しい中でも、祖国統一の悲願だけは譲れない強い意志が示される
・王朝軍が北方を奪還する日を待ち望み、それを亡き後でも知らされたいという切なる願望
・南宋時代の国難を背景に、陸游の愛国心や無念が短い詩句の中に力強く凝縮されている

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