[古典名詩] 如夢令(常記溪亭日暮) - 詩の概要

Like a Dream (Often I Recall the Creekside Pavilion at Dusk)

如梦令(常记溪亭日暮) - 李清照

如夢令(常記溪亭日暮) - 李清照(り せいしょう)

夕暮れの川辺に酔い、蓮花の深みへと迷い込む切ない回想

常记溪亭日暮,
いつも思い出す あの川辺の亭の夕暮れ
I always recall the twilight by the streamside pavilion,
沉醉不知归路。
酔いつぶれて 帰り道もわからなくなる
So deeply drunk I forget the way home.
兴尽晚回舟,
興も尽きて 暮れ方に舟へ戻ると
When merriment ends at dusk, I return to my boat,
误入藕花深处。
うかつにも 蓮の花咲く奥深くへ入ってしまった
Only to drift, by mistake, into the lotus blossoms’ depths.
争渡,争渡,
ああ どうしよう どうしよう
Struggling to steer, oh how I struggle,
惊起一滩鸥鹭。
水辺のカモメやサギを 驚かせてしまった
Startling a whole sandbank of gulls and egrets.

李清照(り せいしょう)は、中国宋代を代表する女流詞人として知られ、その作品には繊細な抒情と豊かな情感が凝縮されています。『如夢令(常記溪亭日暮)』は彼女の初期の作品のひとつとされ、川辺の亭(ちん)で夕暮れを過ごすうちに酔いしれてしまい、帰路が分からなくなるという一見ほのぼのとした情景の中にも、はかなさと哀愁が感じられる名篇です。

冒頭の「常记溪亭日暮」では、夕暮れの川辺という情景が描かれます。川面にゆらめく光、沈む太陽の余韻、そして作者の心に強く焼き付いた記憶が、いまも色あせずに蘇っているのです。続く「沉醉不知归路」は、酔いが深まるあまり帰り道を忘れるほどの気の緩みや、限りない楽しさに没頭するひとときの幸福を暗示します。

その一方で、「误入藕花深处」という描写は、現実に戻ろうとする意思がありながらも、さまざまな偶然や運命のいたずらによって自然の奥へと踏み込み、迷い込む様子を表しています。ぼんやりとした酔いの中で、思いもかけない方向へ漕ぎ出してしまう姿には、可笑しさと同時にどこか物寂しさも感じられるでしょう。

終盤にある「争渡,争渡,惊起一滩鸥鹭。」は、蓮の花が広がる水域であわてふためく作者の姿と、水辺の鳥たちが一斉に飛び立つ光景を鮮やかに映し出しています。ここには、小さなアクシデントとともに自然との触れ合いがあり、騒ぎ立てるほどの大事ではないものの、そのひと場面が鮮明に記憶に刻まれていることを物語っています。

全体を通してみると、李清照の作品には多くの場合、哀愁や懐旧の情が強調される傾向がありますが、この詞では夕暮れから夜にかけての穏やかな情景に、ある種の無邪気さや軽妙な雰囲気が感じられます。だからこそ、その背後に漂う儚さや憂いがいっそう際立ち、読者にほろ苦い余韻を残すのです。彼女独特の技巧として、短いフレーズの反復や、思わず情景が浮かぶ鮮明な表現が多用されており、優美な響きのなかに深い感情が息づいています。

李清照の作品は、時代を超えて愛される普遍性と、女性としての視点を活かした感受性の両面を兼ね備えています。この『如夢令』も、夕暮れの川辺で酔いしれるという至福の瞬間と、そこから生じる小さな混乱が絶妙に織り交ぜられた秀逸な作例といえるでしょう。

要点

・夕暮れの川辺の情景と酔いの中の一幕が生み出す繊細な余韻
・一見穏やかな場面の背後に漂う、儚さや哀愁
・李清照の詞に特徴的な短いフレーズの反復や鮮明なイメージ表現
・時代を超えて愛される、女性の視点がもたらす感受性と普遍的な情趣

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