[古典名詩] 除官赴阙至江州寄鄂岳僧(じょかん ふけつ し こうしゅう にいたり がくがくのそうに よす) - 江州で僧を思う韓愈の旅の心

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除官赴阙至江州寄鄂岳僧 - 韩愈

除官赴阙至江州寄鄂岳僧(じょかん ふけつ し こうしゅう にいたり がくがくのそうに よす) - 韓愈

旅路の途上で僧に託した深き情

江城暫駐舫,千里憶師門。不識雲林遠,終朝意縈魂。數行新月上,萬點故山昏。更願清齋坐,來看瀟灑僧。
江州の城に船をしばし留め、遥かなる師のもとを思う。雲深き森の遠さははかり知れず、朝な夕なにその面影に心が寄り添う。幾筋かの新月は空にかかり、故郷の山々は黄昏の色に沈む。いずれは清らかな斎に身を置き、清々しい僧の姿を訪ねたいものだ。
Briefly moored in the river city, I yearn for my distant teacher’s gate.Unaware how far the misty forests stretch, my thoughts linger there morn till eve.A scant few new moons rise overhead, while homeward hills fade in dusk’s embrace.Someday, I wish to sit in a pure retreat and greet the monk of calm grace.

「除官赴阙至江州寄鄂岳僧」は、官職を得て都(長安)へ向かう途中、韓愈が江州(現在の江西省九江付近)に立ち寄った際、遠く鄂岳(がくがく)の山中に住む僧へ宛てた作品です。詩(あるいは書簡)の中には、自らの旅の疲れや故郷への思慕、そして道中での心境が鮮やかに描かれています。韓愈は儒教思想を強く唱える文人として知られつつも、仏教界や道教に通じる知己を多く持ち、さまざまな思想を行き来していたことが分かります。

詩の冒頭で示される「江城暫駐舫,千里憶師門。」は、船を一時係留している様子とともに、遥か離れた師を慕う気持ちが端的に示されています。韓愈のように幾度も左遷を経験した人物にとって、旅路や遠方への思いは深刻かつ切実なものであったでしょう。そこに加えて「師門」という表現が用いられることで、師弟関係で結ばれた僧侶との絆や精神的な依り所の存在が感じられます。

韓愈は儒家としての立場が強調されがちですが、当時の知識人には様々な宗教・思想に触れ、その中で自らの精神世界を確立していく文化風潮がありました。道教や仏教の僧侶とも交流を持ち、詩文を交わすことで互いの見識を深め合うのです。本作も、単に僧侶への挨拶に留まらず、僧侶という存在を通じて精神的な安らぎや悟りの境地に触れたいという思いがほのかに宿っています。

また、本作には旅先の光景が叙情豊かに描き出されています。夕暮れの山々や夜空にかかる新月など、限られたイメージの中に哀愁や故郷への懐旧の念が巧みに織り込まれているのです。韓愈にとって、旅の疲労や官途の不安を癒すものの一つが、深い精神性を備えた僧との対話や修行的体験であったことがうかがえます。

唐代の文人は、こうした旅や左遷の道すがら、多くの詩文を残しました。そこには、自らの境遇を嘆くだけでなく、その局面を芸術や思想の深化へと転じようとする強い姿勢が伺えます。韓愈もまた、様々な場所を転々としながら文名を高めた代表的な存在です。僧侶や友人との書簡や詩を通して、自らの価値観を再確認し、将来の官途に向けて心を整えたとも考えられます。

要点

・都へ赴く途中、江州で僧への想いを寄せた韓愈の旅情と精神性
・儒教の立場を持ちながらも、仏教・道教との交流を通して多面的な視野を育んだ
・風景描写を通じて、旅の寂しさや故郷への思慕を巧みに表現
・僧との交わりが、官途の不安を和らげ、精神的な支えとして機能していた
・唐代の文人が左遷・赴任の旅路で多くの詩文を残した背景をうかがわせる作品

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