[古典名詩] 致酒行 - 杯に宿る李賀の幻想世界を読み解く

Summons to Wine

致酒行 - 李贺

致酒行 - 李賀

琥珀の杯に宿る春の幻を映す詩情

琥珀盞,翡翠杯,
琥珀の杯、翡翠の盃、
Amber goblet, jade cup,
臥兔唇間美酒來。
眠れる兎の唇に、美酒がそそがれる。
Wine arrives at the sleeping rabbit’s lips.
憶君初試春衣日,
君がはじめて春の衣をまとったあの日を思い出す。
I recall the day you first donned your spring robes.
拜月琵琶引夜開。
月に拝しながら琵琶を奏で、夜へと誘い開く。
Bowing to the moon, the pipa’s tune beckons forth the night.
紫駒踏破琉璃地,
紫の駒は瑠璃の大地を踏み砕くように駆け、
A purple steed shatters the glasslike ground beneath its hooves,
銅鼓聲中萬里回。
銅鑼の響きがこだまする中、万里を巡り戻ってくる。
While bronze drums echo, it travels ten thousand miles and returns.
一曲笙歌酬不盡,
一曲の笙歌では酬いきれない想いがあふれ、
A single melody of sheng cannot repay this boundless emotion,
紅燈羅幕閉清杯。
紅い灯火に羅の幕がかかり、澄んだ杯はとじられてゆく。
Under red lanterns and silk curtains, the clear cup is sealed away.

「致酒行(ちしゅこう)」は、唐代の詩人・李賀(りが)が酒宴と幻想的な世界観を結びつけて描いた作品の一つです。全体的に華麗なイメージが続々と登場し、読者を現実と幻の境界へ誘う独特の筆致が光ります。題名の「致酒行」は、文字どおり“酒を勧める行(歌)”という意味で、古来より詩の中では宴や酒を通じて人間の喜びや儚さを表現するのが定番ですが、李賀はそこに伝説的かつ超現実的な色彩を大胆に加えているのが特徴です。

冒頭の「琥珀盞,翡翠杯」からして、まるで宝飾品のようにきらびやかな酒器が現れ、読者の視線を引きつけます。続く「臥兔唇間美酒來」では、“眠れる兎”という幻想的な比喩を用い、月に登場するとされる兎のイメージとも重なる表現になっています。李賀は神話や伝説上のモチーフをしばしば引用し、わずかな語で強い印象を与えるのが得意でした。

中盤では、「憶君初試春衣日」や「拜月琵琶引夜開」といった、春衣や月下の琵琶といったロマンチックなモチーフが登場します。月に拝し、琵琶の音色が夜を開くという表現は、現実離れした世界がいままさに幕を開けるような雰囲気を醸成しています。そこからさらに「紫駒踏破琉璃地,銅鼓聲中萬里回」と続き、駿馬が瑠璃の大地を踏み砕いて旅をし、銅鑼が遠くまでこだまするという壮大な場面へと発展します。まるで神話世界を駆け巡るかのようなスケール感が、この詩の大きな魅力です。

結びの「一曲笙歌酬不盡,紅燈羅幕閉清杯。」では、笙の音や紅い灯籠、羅の幕といった唐代の華やかな宴の情景が描かれつつも、「酬いきれない想い」や「閉ざされる杯」によって、どこか物悲しくもある余韻を残します。李賀は華麗な光景を描くだけでなく、最終的に儚さや孤独感を漂わせるのが特徴であり、この詩にもまた、盛り上がる喜びの反面には尽きぬ哀愁が潜んでいると言えるでしょう。

唐代には李白や杜甫をはじめ、酒を題材にした名詩が数多く残されていますが、李賀の「致酒行」は神秘的で大胆なイメージを駆使しており、華美さと寂しさの両面を同時に描き出す独自性が際立っています。彼の作品世界に触れることで、“詩鬼”と呼ばれる由縁を強く感じると同時に、人間の歓喜や夢、そしてかすかな哀しみまでもが、わずか数十字の中に凝縮される詩の深みを改めて実感させられます。

要点

・琥珀や翡翠、瑠璃など宝石的イメージが詩全体を彩る
・兎や月、紫駒、銅鼓といった幻想的モチーフが連鎖し、壮大な世界観を構築
・華やかな酒宴の情景に潜む“酬いきれない想い”が哀愁を帯びる
・李賀特有のロマンと陰影が交錯し、“詩鬼”の名にふさわしい作品
・神話や伝説を思わせる要素を織り交ぜつつ、人間の心の機微を鮮烈に描く技量が際立つ

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