Passing the Tomb of the First Emperor - Wang Wei
/过始皇墓 - 王维/
Passing the Tomb of the First Emperor - Wang Wei
/过始皇墓 - 王维/
本作『過始皇墓(か しこう ぼ)』は、唐代の詩人・王維(おうい)の作と伝えられる一篇ですが、その定本は早くから散逸し、現在まで明確な形で伝わってはいません。上記の詩句は後世の文献や詩話(詩に関する談義の書)に断片的に引用されるものをもとに推測的に復元されたもので、王維の作品と確定できるかどうかには議論の余地があります。
タイトルにある「始皇墓」は、秦の始皇帝の陵墓を指すと考えられており、史実としては陝西省西安近郊(かつての驪山一帯)に存在するとされます。始皇帝は中国史上初めて“皇帝”を自称した人物であり、その威光と統一事業は歴史に大きな足跡を残しました。しかし、この詩で描かれるのは、かつての権勢が失われ、ただ草が生い茂る荒塚としての現状です。王維はこの荒涼とした墳墓の姿を通して、歴史の無常と、いずれ人知れず風化していく人間の栄華を暗示しているようにも読み取れます。
冒頭で「荒塚秦皇冢,煙草幾春榮。」と詠い、かつては偉大なる始皇帝の墓も、いまは幾多の春を経て、雑草が生い茂るのみと描写しています。続く「功業誰復識,碑殘字已冥。」によって、隆盛期には確かに刻まれていた偉業の碑文も、時の流れとともに欠落し読み取れない姿へと変貌したと示します。これはいわば“歴史を刻む”試みの脆さや、後世の人々の記憶から徐々に消えゆく過去を象徴的に表現したものと考えられます。
後半の「日暮悲風起,松間聲更清。」は、黄昏が訪れる頃、松林を渡る風が哀愁を帯びながらも透明感のある音を響かせる情景を伝えます。王維には“山水田園詩人”としてのイメージが強い一方、歴史的な場を訪れた際にはこうして朽ちていく遺構を前に静かに思いを馳せ、人間の営みと大自然の悠久との対比を印象的に描く作品も存在しました。もし本詩が真に王維の筆によるものならば、彼が自らの仏教的・道教的思想や無常観を、歴史の跡に重ね合わせた可能性もうかがえます。
ただし前述のように、これらの詩句はあくまで断片的な伝承に基づく推定的な再構成であり、研究者の間でも信憑性や整合性については議論が続いています。いずれにせよ、“盛者必衰”を暗示し、昔日の権勢や栄耀がどれほど長大であっても、やがては草のなかに埋もれていく――という普遍的なテーマを感じ取れる詩として、古来から注目される一篇と言えるでしょう。
• 『過始皇墓』は早くから散逸し、現在伝わる断章は推定再構成が中心
• かつての絶大な権勢を誇った始皇帝の墓も、歴史の流れにより荒れ果てた姿
• “功業誰復識”が象徴する、偉業の風化と碑文の欠落
• 王維の名に帰されるが、真偽は不確定。歴史の無常を描く詩として古来から興味を集める