Gazing at the Mountain - Du Fu
/望岳 - 杜甫/
Gazing at the Mountain - Du Fu
/望岳 - 杜甫/
『望岳』は、杜甫(とほ)が若年期に泰山(たいざん)を望んで詠んだと伝えられる作品です。泰山は中国五嶽の一つに数えられ、古来より帝王の封禅(ほうぜん)など儀式が行われる神聖な山として知られてきました。詩の冒頭で「岱宗夫如何?」と問いかけるのは、詩人が直接山に呼びかけるかのような形を取り、眼前にそびえる山の雄大さと神秘を強く意識しているからです。
続く「齊魯青未了」は、現在の山東省一帯にあたる斉・魯の大地を青々と覆い尽くす山並みを指し、その果てしなさを暗示しています。自然の偉大さに圧倒されつつも、「造化鐘神秀,陰陽割昏曉」で示されるように、天地の造化がこの場所に神のような美を凝縮していることを感じているのです。陰陽が昼夜を隔てるほどのスケール感は、見る者の心に大きな畏怖と憧れを抱かせます。
「盪胸生曾雲,決眥入歸鳥」の二句では、視界に広がる雲や帰巣する鳥の動きが、詩人の内面をさらに揺さぶります。視野を広げてなお、胸の裡をかき立てられるような雄大な自然。その迫力は、杜甫の若き意気込みをかき立てつつも、自身の小ささを思い知らされる瞬間でもあったでしょう。
そしてクライマックスの「會當凌絕頂,一覽眾山小」。いつか必ず頂点を極め、他の山々を見下ろす日が来るのだという決意の言葉は、単に山登りの抱負を語るだけではありません。そこには人生の高みを目指す意志や、どんな困難も乗り越えてみせるという若い杜甫の胆力が隠されています。山の背後にある歴史や伝統への敬意を感じ取りながらも、詩人はなお自分の足で頂に立ち、世界を俯瞰したいのです。
杜甫の詩は後年になると、社会に対する洞察や戦乱期の苦悩などを深く映し出す“詩聖”の風格が強く表れるようになります。しかし、この『望岳』には若き日の杜甫が持っていた雄大な理想や意気込み、また自然へ対する純粋な敬意が存分に示されています。詩中に流れる、抑えきれない冒険心と胸の高鳴りは、読み手に新鮮な感動をもたらすと同時に、杜甫の多面的な詩風を理解するうえで重要な作品となっています。
まさに、山岳詩の名作のひとつに数えられ、中国詩史上でも高く評価される理由の一端が、この雄大なスケールと情熱的な語り口にあるといえるでしょう。
• 泰山の雄大さを前に抱く畏怖と高みを目指す意欲
• 若き杜甫の力強い理想や冒険心が鮮明に表現
• 自然の大いなる造化に対する素直な敬意がうかがえる
• 後年の社会派的な作風とは異なる、杜甫の多彩な詩風を知る一助となる作品