[古典名詩] 溪居(けいきょ) - 渓辺の静寂と詩人の心象風景

Dwelling by the Stream

溪居 - 柳宗元

溪居(けいきょ) - 柳宗元(りゅうそうげん)

山間に隠れ住む詩人の孤高の境地

隐几寄所适,
几(机)にもたれて心のままに過ごす。
Leaning on a small desk, letting the mind wander as it pleases.
岂非东郭谪。
まるで東郭に流された身のようでもある。
Is this not like being exiled to a remote place in the east?
野鹤无心笑,
野の鶴は何のわだかまりもなく鳴き、
A wild crane, free of care, calls out in laughter,
山猿有夜惊。
山の猿は闇夜に驚いて声を上げる。
While a mountain monkey cries out, startled in the night.
溪云浮静枕,
渓の雲は静かな枕を包みこみ、
Clouds over the stream drift around a tranquil pillow,
松月落寒灯。
松の梢にかかった月は寒灯の傍らに沈む。
The moon among the pines descends beside a cold lamp.
谁料官曹外,
誰が思っただろう、官の務めを離れた先で、
Who would have thought, outside officialdom,
高枕复故情。
高枕に身を委ね、かつての心を取り戻せるとは。
I rest my head high and reclaim the peace of old.

本作「溪居(けいきょ)」は、柳宗元(りゅうそうげん)が流謫(るたく)先の僻地に住まうなかで綴ったとされる八句の五言律詩です。彼は官職から遠ざけられた境遇にもかかわらず、渓谷の自然に寄り添いながら、自らの精神を深く見つめ直していきます。

冒頭の「隐几寄所适,岂非东郭谪。」では、机に凭(よ)りかかって静かに過ごす姿が描かれ、それが「東郭に流されている」ような状況と重ね合わされています。柳宗元は実際に左遷された身でありながら、ただ悲嘆するのではなく、辺境の地であっても自分の心が望む生き方を探求しているのです。まるで退隠の道を選んだ学者や隠者のような、超然とした眼差しが感じられます。

次の「野鹤无心笑,山猿有夜惊。」では、野に生きる鶴や、暗夜に驚く猿という自然の生き物を対比的に描写しており、人間社会の外に広がる自由な世界と、その世界にも潜む厳しさや瞬間的な恐れを暗示しています。鶴の笑い声は無心の境地を象徴する一方、猿は闇夜に動揺する存在として描かれ、自然に溶け込みながらも揺れ動く詩人自身の心情を投影しているとも読めます。

「溪云浮静枕,松月落寒灯。」の部分では、渓谷を漂う雲や、冷え込む夜の月と灯火といった、静かな自然の美が詩の舞台を深く彩ります。寒灯の光はかすかでありながら、辺境の地で過ごす詩人の内面を照らし出すようにも思えます。動きの少ない情景がかえって内面の豊かさを浮かび上がらせるのが、唐代詩の叙景表現の醍醐味とも言えるでしょう。

最後の「谁料官曹外,高枕复故情。」では、官職の拘束から解放され、高枕に身を預けられる安心感を素直に吐露しています。左遷という不遇な状況であっても、むしろ本来の自分を取り戻し、精神を解き放つ契機と捉える柳宗元の姿勢が鮮やかに映し出されています。単なる諦観ではなく、自然と一体となることで醸し出される静かな充足感が、詩の結びを印象深いものにしているのです。

柳宗元にとって、政治の中心から遠ざけられた左遷生活は試練であると同時に、自分の思想を練り上げ、自然の真理を見つめる重要な時間でもありました。「溪居」はそのような心境を、自然描写と自省の言葉で巧みに融合させた作品といえるでしょう。

要点

・僻地に流された境遇でも自然を友とし、自らの心を保つ姿を描く
・野に生きる鶴や夜の猿など動物の描写が、自由と不安を象徴
・月や灯火の静かで幽玄な光が詩人の内面の豊かさを引き立てる
・官職を離れてこそ得られる精神の安寧という逆説的なテーマが含まれる

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