梦天 - 李贺
夢天 - 李賀
梦天 - 李贺
夢天 - 李賀
「夢天」は唐代の詩人・李賀の代表的な幻想詩の一つとされ、月や兎、蟾蜍といった神話的・伝説的モチーフを織り交ぜながら、夜空に広がる超現実的な世界を描き出しています。題名が示すように、夢のなかで天を巡る不思議な光景が主題でありながら、詩の背景には李賀が抱いていた人生観や時の流れに対する繊細な感受性が表れていると考えられます。
冒頭の「老兔寒蟾泣天色」では、月を象徴する伝説上の動物である兎と蟾蜍が涙を流すという情景が印象的です。中国の神話や伝説では、月には兎が住むとされ、また蟾蜍(蟾)は月との深い関係を持つ生き物としてしばしば登場します。李賀はこれらを重ね合わせて、時の経過や人間世界の儚さを遠くから見つめる存在として暗示していると言えるでしょう。
「雲樓半開壁斜白」や「玉輪軋露濕團光」は、まるで天界へと続くような高楼のイメージや、露に濡れた車輪の軋みといった繊細な音の描写が連続し、幻想性を一層深めています。これらの句の背後には、夜のしじまのなかでひそやかに動いている神秘的な力や、日常の境界を超えて広がる異次元の空間が感じ取れるでしょう。
中盤の「鸞佩相逢桂香陌」では、仙界のような場所で人(あるいは神)がすれ違う場面が示唆され、月の世界において交錯する縁や出会いに想像をかき立てられます。後半の「黃塵清水三山下,更變千年如走馬」という句は、現実世界に戻り、歴史の長大さや変転の速さをイメージさせます。李賀の詩には、しばしば短い人生や無常に対する深い思いが含意されるため、この一節もまた、人間世界の栄枯盛衰を俯瞰する視点を感じさせます。
結句の「玉郎會得來何處?金樓玉兔欠我些。」では、玉郎(理想の相手や仙界の存在の暗喩)がまだ姿を現さず、金楼にいるはずの玉兎も不在のままという、夢と現実の合間で生じる切ない欠落感が提示されます。月に象徴される豊穣や不老不死のイメージ、それを手に入れられない人間的な限界が対照的に浮かび上がるため、李賀特有の寂しさと幻想性が、詩の余韻として心に残るのです。
・兎や蟾蜍など月の神話的イメージを駆使して幻想世界を構築
・雲楼や露に濡れた玉輪が夜空の非日常的な空間を示唆
・黄塵と清水による時間・歴史の変遷、無常への意識
・玉郎や玉兔の不在が描く“手に届かない理想”の哀感
・李賀の詩風らしい華やかさと寂寞感の交錯が魅力