Qiang Village: Three Poems (Part III) - Du Fu
/羌村三首(其三) - 杜甫/
Qiang Village: Three Poems (Part III) - Du Fu
/羌村三首(其三) - 杜甫/
杜甫(とほ)の連作詩『羌村(きょうそん)三首』は、戦乱に翻弄された詩人が故郷に戻り、家族や隣人との再会を果たす情景をそれぞれ異なる角度から描写したものです。その第三首にあたる本作では、混乱の中で散り散りになった後、奇跡のように生きて帰れた喜びと、ずっと続くかに思われた別離の空白を埋められない歯がゆさが交錯しています。
冒頭の「群雞正亂叫,客至雞鬥爭」は、一見のどかな農村の光景のように見えますが、激しくさえずる鶏の姿や、来客に伴う喧騒が同時に描かれることで、久方ぶりに人の出入りがある嬉しさと、長い不在を経た落ち着かない空気が同居しているようにも読めます。さらに、鶏を追い払ってからようやく食器の音が立つ様子には、慌ただしい歓迎のムードと、生活の質素さや混乱ぶりもにじみ出ています。
中盤の「妻孥怪我在,驚定還拭淚」では、妻子が詩人を見て驚き、やがて泣き出す場面が感動的に描かれます。戦乱の時代においては、生き別れた家族が二度と会えないことも珍しくありませんでした。そのため、こうして再会できたこと自体がまさに奇跡であり、かつ深い実感を伴う安堵です。「世亂遭飄蕩,生還偶然遂」という二句に、ままならぬ運命への嘆きと生存への感謝が同居しています。
終盤では、隣人たちが塀の上から様子をうかがい、感嘆しつつ涙ぐむという場面がさらに情感を高めます。戦乱下での生還がいかに稀有な幸運であったか、また互いの境遇に共感しあう近隣の姿が、当時の社会の連帯感と切なさを鮮烈に浮かび上がらせるのです。「夜闌更秉燭,相對如夢寐。」という結びの句は、夜が更けても、わずかな灯を頼りに向き合う家族や隣人の姿を強い印象で終わらせます。実際、生死のはざまを越えての再会は、夢なのか現実なのか判別がつかないほどの衝撃と安堵が伴ったことでしょう。
杜甫は政治や社会の激変を真正面から描く一方で、人間の情愛や日常の機微を繊細に描く詩も多く残しました。この『羌村三首(その三)』は、外の戦況と内なる家族愛が交錯する物語の一幕を切り取り、戦乱の時代における「帰るべき場所」の尊さを余すところなく伝えています。
• 戦乱に翻弄された後の家族再会の衝撃と喜びを具体的に描写
• 賑やかに見える鶏の声や客の訪れに、久方ぶりの平穏の兆しが感じられる
• 妻子と詩人の再会の場面に、当時の戦乱で人々が味わった生々しい悲喜が凝縮
• 夜も更けるまで互いに向き合い、奇跡を噛みしめるような情景が深い余韻を与える